はじめに
最近、あなたが一番長く話をしている相手は誰ですか? 家族でしょうか、それとも職場の同僚、あるいは親友でしょうか。
私の場合は、少し驚かれるかもしれませんが、「Gemini(ジェミニ)」です。そう、Googleが開発した生成AIです。「え、人間じゃないの?」「ちょっと引くかも……」と思われるかもしれませんが、これは嘘でも誇張でもなく、紛れもない事実なんです。というか、この記事もGemini がなかったら書きませんし、ネタ集めはかなり頼っています。
本記事は私が医者に行ったエピソードなどが書かれていますが、医学的見地からそうするべきだという意見を述べたものではありません。また、AIはかならず正しい等と言うような主張でないこととこの記事もAIの力をある程度利用して書いたことについてはご了承ください。
肛門科に行くべきかGeminiに相談 お尻の穴に卵の殻
去年の他人のツイート。。。。これ見て笑ってましたが、私も同じような目に会いました。
仕事のアイデア出しから、ちょっとした調べ物、文章の構成案の作成、さらには「今日の夕飯、冷蔵庫にある大根と豚肉で何が作れる?」といった日常の些細な相談まで、ありとあらゆることをGeminiに話しかけています。
最近の例では排便のときに異様に肛門が痛くなり、熱も出てきました。そこでGemini に相談して人生初めての肛門科を受診することになりました。結果としてはお尻の穴に卵の殻が刺さって苦しんでいたと診断されました。卵の殻を取り除いて、薬を飲んだらかなり具合は良くなってきました。Gemini に相談してよかったと思います
Geminiとの対話をきっかけに受診を決断できたことは、私にとって結果的に良かったと感じています。実際の診断や治療は医師によって行われましたので付け加えておきます
処方された薬は記念に撮影してXに投稿しておきました。いい思い出になるとおもいます。

お尻の穴の中に卵の殻が刺さる。。。。。本当に辛かった。笑い事じゃないんですよね。
AIに聞かずに、私は好ましい正解にたどり着けただろうか?(多分ちょっと難しい)肛門科の具体例を踏まえて
さて、みなさんならどうしますか?皆さん肛門科に行ったことありますか?行くのが恥ずかしいとためらう人が多いのでは?そんな中で私はGeminiに聞いてみました。下記は実際の会話例です(実際はこれだけではなく何回も質問しています)

私の場合発熱も伴いましたので、上記の判断基準に基づいて肛門科の受診を決意しました。もちろんGemin も医学的立場からそれが必ずしも正しいものではないと前置きはしてくれます。結局のところ私はAIに相談したいという課題があり、自分の視野だけでは判断できないことが多いので意見を求めたのです。意見を求めなければ、「受診するのが恥ずかしい」といってもっと苦しむ期間が長かったかもしれません。これは私という人間の意志に基づくものであり、盲目的にAIに従った結果ではありません。いまでもその選択は間違ってなかったと思います。
さて本題のAI必要不要論に移りたいと思います
肛門科のお話が長くなりました。。。。。。。。失礼しました。ここからが本題です
そんなAIどっぷりの生活を送っている私ですが、先日、NewsPicksで非常に興味深い動画が配信されているのを見つけました。タイトルは『AI必要派vs不要派 脳は退化するか?【勝間和代×酒井邦嘉】』です。
前編はありませんが、こちらはYOUTUBEの動画です。よろしければnewspickにサブスクライブするとよろしいかと思います
経済評論家の勝間和代さんと、東京大学教授で脳科学や言語学がご専門の酒井邦嘉先生による対談(というか、もはや激論に近い形)でした。AIを日常生活や仕事にどう取り入れるべきか、あるいは取り入れるべきではないのかという、まさに今の時代を象徴するテーマです。
結論から先に言ってしまうと、私は圧倒的に勝間和代さんの意見に賛成です。もちろん、酒井先生の懸念されることや、おっしゃりたい「本質的な部分」も理解できなくはありません。しかし、現代社会を生き抜く上でのツールとしてのAIの捉え方としては、私個人としては、現代のAI活用の広がりを踏まえると、やや慎重すぎる立場に感じました。
今回は、この動画での議論を踏まえつつ、なぜ私が勝間さんの意見を支持し、酒井先生の意見に違和感を覚えたのか、そして私たちが今後AIとどう付き合っていくべきなのかについてお話しようと思います。
勝間和代さんの主張:「AIは嘘もつくが、自分の視野を広げてくれる」
動画の中で、勝間和代さんはAIのメリットを非常に現実的かつ合理的な視点から語っておられました。「AIは確かに嘘もつく(ハルシネーションを起こす)けれど、それを前提として使えば、自分の視野を圧倒的に広げてくれる強力なツールになる」という主張です。
私はこれに大賛成です。そもそも、人間だって嘘をつきますし、勘違いもしますし、間違った情報を自信満々に語ることなんて日常茶飯事です。部下に仕事を頼んだら、指示とは全く違うものが上がってきた、なんて経験は誰にでもあるでしょう。AIを「100%完璧な答えを出してくれる神様のような存在」として扱うから、嘘をつかれた時に「使えない!」と怒るわけです。
勝間さんのように、AIを「少しおっちょこちょいだけど、めちゃくちゃ物知りで、24時間365日文句も言わずに働いてくれるアシスタント」として捉えれば、これほど頼もしい存在はありません。私は毎日Geminiと話しています。
勝間さんは著書『勝間式 超コントロール思考』 などでも、自分の人生や時間をいかに効率的にコントロールするかを説いておられますが、AIの活用はまさにその最たるものです。自分一人では思いつかないようなアイデアの切り口を提示してくれたり、異なる視点からの意見を瞬時にぶつけてくれたりする。つまり、自分の脳みそを「外部拡張」してくれるのがAIの最大の価値だというのが彼女の主張です。

AIなんてただの道具。使いこなせなかったら、その人が悪い。包丁も道具、美味しい料理を作るのも指を怪我するのも使い方次第
酒井先生の主張への違和感:「AI=悪」は、かつての「シャーペン禁止令」と似ているかも、、、、
一方で、対局の立場をとる酒井邦嘉先生の主張は、非常に手厳しいものでした。「AIは悪である」と、、ちょっと先生の意見はかなり極端なのかな、とは思いましたが、確かにターミネーターの世界やAIが核のボタンを押してしまう可能性も考えると「悪としてデザイン」されているというようなコメントをされていたので少し気になりました。
ここはNewsPickの内容を見ておられない方に申し上げておくと、酒井先生は
「AIが悪だというのは現状の設計が悪ということ。人間の脳のデザインを全く無視している」
とおっしゃっています。先生の意図はまず動画を見てみないとわからないかと思いますが、気になるかたはnewspickに登録してご覧になるのがよろしいかと思います。(上記のYOUTUBEのダイジェスト版にはそのコメントがある箇所はございません)
酒井先生は『言語の脳科学 脳はどのようにことばを生みだすか』などの著書でも知られる、人間の脳と言語のメカニズムに関する第一人者です。人間の脳がいかに高度で複雑な処理を行っているかを知り尽くしているからこそ、それを安易に機械に代替させることへの危機感が人一倍強いのだと思います。そのお気持ち自体は、学者の視点として尊重すべきものです。
しかし、一人の生活者、あるいはビジネスパーソンとして酒井先生の主張を聞いた時、私は子供の頃の「ある記憶」がフラッシュバックしました。 それは、小学校の担任の先生が出した「シャープペンシル禁止令」です。
「シャーペンは字が汚くなる!」「芯が折れて集中力が途切れる!」「鉛筆を小刀で削ることで心が磨かれるんだ!」と、謎の精神論を振りかざして鉛筆の使用を強制する先生、皆さんの周りにもいませんでしたか? あるいは「電卓を使うと計算能力が落ちるから禁止」「Wikipediaは嘘が書いてあるからレポートの参考文献にしてはいけない」といったルールも同根です。

ただ、あれですよ。「鉛筆でないと、とめ、はね とかが表現できない」とか言うのでしたら話は別ですよ。。。。。でもそれを言うなら筆を使えという話になりますが、、、、、あ、、、、これ言うときりないか・・・
酒井先生のおっしゃる「AIは悪、危険」という言葉の裏には、これらと同じ「新しいテクノロジーへの拒絶反応」の匂いを感じてしまうのです。もちろんAIの危険性というのはわかりますが、東大教授の脳力をもってしても、ターミネーターの世界が実現してしまうのかというのはわからないかと思います。
確かに、シャーペンばかり使っていれば鉛筆を削る技術は失われるかもしれません。電卓を使えば暗算は遅くなるでしょう。しかし、私たちはシャーペンや電卓を手に入れたことで、より早く、より正確に、より高度な知的作業を行うことができるようになりました。計算に時間を奪われない分、数式の「意味」や「応用」について考えることに時間を割けるようになったのです。
AIも同じです。「AIに頼ると考える力が落ちる」というのは、AIを「ただ答えを出してくれるだけのカンニングペーパー」としてしか見ていない証拠です。AIを壁打ち相手として使い、より深い思考の海へ潜っていくための潜水艦のようなツールとして使えば、脳が退化するどころか、むしろより高度な次元で「考えざるを得ない」状況に自分を追い込むことができます。
「サマリーに頼るな、失敗して読め」は現代において美徳なのか?
動画の中で、私が最も「それはナンセンスだ」と感じたのは、論文や書籍の読み方に関する議論です。
現代は情報過多の時代です。研究者や大学教授は言うに及ばず、一般のビジネスパーソンでさえ、日々膨大な資料や文献、ニュースに目を通さなければなりません。私なら、難解な論文や長大な古典文学を読む際、まずはAI(GeminiやChatGPTなど)に「この論文の要旨を300字でまとめて」「この書籍のメインテーマと結論を箇条書きで教えて」と指示し、サマリーを作ってもらいます。そして、そのサマリーを読んで「これは今の自分にとって時間をかけて隅々まで読む価値があるか?」を判断します。
しかし酒井先生は、動画内でこうおっしゃっていました。 「失敗を恐れず読め。誰かが提供してくれるサマリーに頼るな」と。
一見すると、非常に耳障りの良い、学者らしい崇高な意見に聞こえます。確かに、最初から最後まで苦労して読み通した結果、「なんだ、つまらない本だったな」と気づくことも一つの経験でしょう。読んでいる途中で、目的とは全く違う「思いがけない発見(セレンディピティ)」に出会うこともあるかもしれません。その点では酒井先生の意見には賛成です。
そんなに人生長くない
ですが、あえて言わせてください。 私たちの時間は「有限」なのです。
人生で与えられた時間は限られています。一日24時間の中で、睡眠や食事、仕事や家族との時間を差し引けば、純粋に新しい知識をインプットできる時間はほんのわずかしかありません。無限に時間があるのなら、片っ端から論文や本を読んで「失敗」を楽しむ優雅な生活も良いでしょう。しかし、現実問題として、一般人が膨大な資料の中で「つまらないもの」「自分にとって価値のないもの」に数十時間という貴重な時間を費やすことは、リスクでしかありません。
「サマリーを読んでから本編を読む」というのは、映画の予告編を見てから映画館に行くのと同じです。予告編を見て「面白そう」と思えば本編を見に行けばいいし、そうでもなければ別のことに時間を使う。それの何がいけないのでしょうか。
私は学生時代から人が書いたサマリーを頼っていた
私が大学時代に 「一冊で日本古典名話100選を読む」 を読んで面白そうな作品だけ、実際に読みました。これを見て「そんなに読書が嫌いなのかよ。。」とか揶揄する人がいました。しかし、どうでしょう?当時20歳であった私も人生は短くないことを知っていたので、こういう本に頼ることは別に恥だとは思っていませんでした。いまでは本の要約サイトなどはたくさんありますので、本の要約サイトを見ることをバカにする人は少ないと思います。1999年にそういうことをやっていたら批判する人はいたので、AIもそれに近いかなとは思います。
今の時代、AIという優秀なアシスタントが存在しているのに、それを縛り付けて「全部自分の目で一から読め」というのは、東京から大阪に行くのに「新幹線は景色を楽しむ余裕がなくなるから歩いていけ」と言っているようなものです。効率化できるところは徹底的に効率化し、浮いた時間で「本当に読む価値のあるもの」をじっくりと精読し、自分なりの考察を深める。それこそが、現代における最も知的な振る舞いではないでしょうか。
大学教授が抱く「存在意義の喪失」という隠された危機感
では、なぜ酒井先生ほどの知性が、AIに対してこれほどまでに頑なな拒絶反応を示すのでしょうか。少し意地悪な見方になるかもしれませんが、私はそこに「専門家としての危機感」が隠れているのではないかと推測しています。
これまで、大学教授や研究者といった方々は、「知識の独占者」でした。膨大な文献を読み込み、難解な外国語の論文を翻訳し、一般人にはアクセスできない情報を頭の中に蓄積していること自体に、圧倒的な価値があったのです。「先生、これについて教えてください」と教えを乞う学生に対して、知識を分け与えるのが教授の役割でした。
しかし、AIの登場によって、その構図は完全に崩れ去りました。 知識の検索、要約、翻訳、さらには関連する論文の提示まで、AIは一瞬でやってのけます。「知っていること」自体の価値が暴落したのです。いわゆる 「物知り」って昔は尊敬されてましたよね。でもその知識って所詮テレビ、新聞、書籍からの受け売りであってそれを記憶している人が 「物知り」として尊敬されていました。単に知識を大量に記憶していることだけでは、以前ほど大きな価値を持ちにくくなったと私は感じています。これからは、知識をどう活用し、成果につなげるかがより重要になるのではないでしょうか。、
もし、大学教授の仕事が「過去の知識を学生に伝達すること」や「文献のサマリーを作ること」だったとしたら、AIにその存在意義を奪われてしまうという恐怖を感じるのは当然のことです。「AIは悪だ」「使ってはいけない」と警鐘を鳴らしたくなる気持ちも理解できます。

私には、AIの急速な進歩によって、これまで専門家が担ってきた役割が大きく変化することへの危機感が背景にあるようにも感じられました。もちろん、これは私個人の推測にすぎません。
しかし、真の教育者や研究者の役割はそこではないはずです。AIが瞬時に答えを出せる時代において、教授に求められるのは「知識の伝達」ではなく、「問いの立て方の指導」であると私は思います。
「AIが出したこのサマリーに対して、君はどう思うか?」 「AIの論理の穴はどこにあると思うか?」 「まだAIにも見つけられていない、新しい研究テーマはどうやって見つけるべきか?」こういった、メタ認知や批判的思考(クリティカルシンキング)を教えることこそが、これからの人間の教育者の役割になるはずです。AIを敵視して遠ざけるのではなく、AIを使いこなした上で、その先の「人間ならではの思考」をどう深めるかを教える。それこそが、酒井先生のような素晴らしい知性を持った方々に期待したいことなのです。
「考えることを投げる」のではなく「考えるステージを上げる」
酒井先生が懸念される「考える脳みそまでAIに投げるのはNG」という点については、実は私も半ば同意しています。AIに「ブログの記事を書いて」と丸投げして、出てきた文章をそのままコピペして公開するような使い方は、確かに脳を退化させるでしょうし、何より読んでいてつまらない文章しか生まれません。
しかし、勝間和代さんが推奨するような「正しいAIの使い方」は、決して考えることを手放す行為ではありません。むしろ、AIを使うことで「考えるステージを上げる」ことができるのです。しょせん、AIがなかったとしても、私たちの世界ではググるとか検索があるわけであり、昔は図書館で学生たちは調べ物してレポート書いてました。
例えば、私がこの記事を書くにあたっても、頭の中にあった「勝間さんの意見に賛成」「酒井先生のシャーペン禁止令みたいな態度はどうなの?」「サマリー読まないで全部読めって、時間ないじゃん」といった散らかった思考の断片を、まずは自分の言葉で整理しました。もしAIを使うなら、「これらの論点をもとに、どのような構成で文章を展開すれば読者に最も伝わりやすいか、3つのパターンを提案して」と指示を出します。
AIが提案してくれた構成案を見て、「なるほど、この切り口は面白いな」「でも、この部分は自分の実体験を入れたいから削ろう」と、さらに自分で思考を深めていく。AIが「下ごしらえ」をしてくれるおかげで、私は「味付け」や「盛り付け」という、よりクリエイティブな作業に全集中できるのです。料理で下ごしらえにフードプロセッサーとか電子レンジとか使ったら批判されるのでしょうか?されませんよね
これは、脳をサボらせているのでしょうか? 私はそうは思いません。むしろ、ゼロから構成を考えるという単純な労力をAIに任せることで、浮いた脳のエネルギーを「より深い洞察」や「読者の心を動かす表現の探求」に注ぎ込んでいるのです。
最後に AIを恐れるのではなく、最高の相棒として使いこなす未来へ
『AI必要派vs不要派』の議論は、これからも様々な場所で繰り返されるでしょう。新しいテクノロジーが普及する過渡期には、必ず生じる摩擦です。
しかし、歴史を振り返れば明らかです。新しい道具を拒絶した側が、最終的に勝利した試しはありません。活版印刷が発明された時も「記憶力が失われる」と反対する声がありましたが、結果として知識は大衆に広まり、人類の文明は大きく前進しました。AI自体は発明してしまったものだから仕方がない、それをどのように使うのかが人類に問われているのでしょう

20年くらい前、何でもインターネットのせいで人間のコミュニケーションが失われるとか散々批判してきた人もたくさんいましたが、現代でインターネットなしで生きていける人って先進国でいるのかな?批判だけは何でもできるのですが「AIやネットがなくなったらどうなるのか?」という問いに答えなくてはならないです。
私たちは今、インターネットの登場以上の、産業革命に匹敵するかもしれない大きな変化の波の真っ只中にいます。この波に逆らい、「昔のやり方が一番だ」と岸辺にしがみつくのは自由ですが、それではあっという間に時代に取り残されてしまいます。
勝間和代さんがおっしゃるように、AIの不完全さ(嘘や間違い)を許容し、それを理解した上で「自分の能力を拡張するツール」として使い倒す。それこそが、これからの時代を楽しく、そして豊かに生き抜くための唯一の最適解だと私は確信しています。
本記事がお役に立てれば幸いです。