はじめに
みなさん、こんにちは。
今日は少し、いつもとは違うテイストの記事を書こうと思います。日常の出来事から感じた強烈なモヤモヤ、そしてそこから自分なりにYouTubeの解説動画や学術的な論文を調べてたどり着いた、ちょっとショッキングな「日本人の本当の姿」についてです。
かなりの長文になりますが、今現在の日本社会の空気に息苦しさを感じている人や、SNSの誹謗中傷ニュースを見て「なんだか嫌な世の中だな」と感じている人には、きっと共感してもらえる部分があるのではないかと思っています。ぜひ、最後までお付き合いください。
褒めそやされる「美しい日本人」への強烈な違和感
事の発端は、テレビのニュースやネットの記事で定期的に流れてくる「ある話題」を見た時の違和感でした。
ワールドカップなどの国際的なスポーツ大会が開催されると、必ずと言っていいほど話題になるニュースがありますよね。そう、「日本人サポーターによるスタジアムのゴミ拾い」です。試合に勝とうが負けようが、青いゴミ袋を持って観客席を綺麗にして帰る日本人サポーターの姿。そして、それを取り上げる海外メディアの「日本人はなんて礼儀正しく、公共心に溢れているんだ!」「世界一のマナーだ!」という称賛の声。
テレビのコメンテーターたちは誇らしげに語り、SNSでは「日本人として鼻が高い」「これが日本の心だ」というコメントが溢れかえります。
もちろん、ゴミを拾う行為そのものは素晴らしいことです。そこに参加されている方々の純粋な善意を否定するつもりは毛頭ありません。 しかし、私はああいうニュースをメディアで繰り返し見せられるたびに、胸の奥で何かが引っかかるのを感じていました。
「……本当に、私たちってそんなに『マナーが良い』国民だっけ?」と。
その違和感の正体が確信に変わったのは、今年の夏、友人と一緒に行った浅草周辺での大規模な花火大会の帰り道でした。
花火大会の後に広がる「現実」という名のゴミ山
数年ぶりの本格的な開催ということもあり、その日の花火大会はものすごい熱気に包まれていました。夜空に大輪の花が咲くたびに歓声が上がり、みんな笑顔でスマホを空に向けていました。そこには間違いなく、平和で楽しい日本の夏の風景がありました。
問題は、すべてが終わった後です。
観客が駅へと向かい始めた後、私と友人は大混雑を避けるために少し時間を潰してから帰路につきました。そして、先ほどまで大勢の人で埋め尽くされていた鑑賞エリアの道を歩いた時、私は絶句しました。
道端には、焼きそばやたこ焼きのプラスチック容器が散乱し、飲み残しのビールの空き缶がそこかしこに転がっています。それだけではありません。場所取りのために敷かれていたブルーシートやレジャーシートが、剥がされることもなく、そのまま「ゴミ」として大量に放置されていたのです。中には、わざわざ植え込みの奥に隠すようにして、家庭ゴミサイズの袋をこっそり捨てている不届き者もいました。
「え、うそでしょ……さっきまでの感動はなんだったの?」 友人も呆然としていました。
つい数日前、ニュース番組で「ワールドカップでゴミを拾う美しい日本人」を見たばかりだった私の頭は混乱しました。 海外のスタジアムでは、わざわざ他人が出したゴミまで拾って「来た時よりも美しく」を実践する日本人が、なぜ自国の、しかもあんなに美しい花火を楽しんだ直後の路上に、平気でゴミを捨てて帰ることができるのか。
誰も見ていない夜の暗がりに紛れて、自分さえよければいいとゴミを投げ捨てる。 この「表と裏の極端なギャップ」こそが、私たちが直視すべき日本人のリアルなのではないか。私はそんな風に感じるようになりました。
匿名という「隠れ蓑」を着た時の底知れぬ悪意
現実世界でのゴミのポイ捨てだけではありません。私が「日本人は実は性格が悪いのではないか?」と感じるもう一つの、そして最大の理由が「インターネット上での振る舞い」です。
Yahoo!ニュースのコメント欄、X(旧Twitter)、そして各種匿名掲示板。 そこを覗けば、日々誰かがターゲットにされ、徹底的に叩きのめされています。芸能人の不倫騒動、YouTuberの失言、あるいは一般人のちょっとしたマナー違反。一度「叩いていいサンドバッグ」として認定されるや否や、匿名という安全圏から、身の毛もよだつような暴言や誹謗中傷の雨あられが降り注ぎます。
普段、職場や学校では「空気を読み」「波風を立てず」「人に優しく」生きているはずの普通の人たちが、匿名のアカウントを持った瞬間に、悪魔のような言葉を吐き出す。 「正義の鉄槌」を下しているつもりの彼ら・彼女らの言葉には、明らかに「他人が引きずり下ろされることへの快感」が滲み出ています。
人の目があるところ(=ワールドカップのスタジアムや、日常の対面コミュニケーション)では、過剰なほどに周りに気を配り、「良い人」を演じる。 しかし、人の目がないところ(=暗闇の花火大会の帰り道)や、自分が誰だか特定されない場所(=匿名ネット空間)では、途端に利己的になり、抑圧された悪意や鬱憤を爆発させる。
この仮説を抱いた私は、自分の考えが単なる穿った見方なのかを確かめるために、色々と考えを巡らせながらリサーチを始めました。
実在の動画が明かす「同調圧力」という名の呪縛
そんな時、YouTubeで非常に興味深い解説動画に出会いました。 『同調圧力の正体』という著書がある同志社大学の太田肇教授の理論をアニメーションで解説した動画です。
参考動画:生きづらいのは同調圧力が原因。『同調圧力の正体』著者・太田肇氏がアニメで解説【本編】 https://www.youtube.com/watch?v=KdzNvzSO0bE
この動画を見て、私は長年の謎が解けたような気がしました。 動画では、日本社会の息苦しさの原因である「同調圧力」がなぜ生まれるのかを、環境面と心理面から解説しています。
とくに腑に落ちたのは、日本は「同質性」と「閉鎖性」が極めて高い社会であるという指摘です。 採用試験などで同じような価値観の人ばかりを集め(同質性)、終身雇用などで一度入ったコミュニティから抜け出しにくい(閉鎖性)環境が作られます。するとどうなるか。そのムラ社会の中での「多数派の当たり前」が絶対的な「正義(イデオロギー)」と化してしまうのです。
この「正義」には逆らえません。もし異論を唱えれば、コミュニティから排除されてしまうからです。 さらに恐ろしいのは、閉鎖的な空間では他者からの承認が「ゼロサム構造」になりやすいという点です。つまり、「誰かが評価されると、自分が減点される」ように感じてしまう。だからこそ、突出した成果を出すよりも、波風を立てずに「和」を乱さないことが最優先されます。
動画内でも、SNSの誹謗中傷や企業の不祥事は、この同調圧力がエスカレートした結果引き起こされると明確に指摘されていました。「この人を叩くのが今の正義だ」という空気ができあがると、それに加担しない者までが悪とされ、ブレーキが効かなくなるのです。
これを花火大会のゴミ山とワールドカップに当てはめてみましょう。 ワールドカップでゴミを拾うのは、「世界中(カメラ)が見ているから」であり、「他の日本人もやっている(同調している)から」です。そこでゴミを放置すれば「日本人として恥ずかしい」という同調圧力が発動するからです。 一方で、暗闇の花火大会では「どうせ誰も見ていない」「みんなも捨てている(ブルーシートがたくさん放置されている)から、自分も捨てていいだろう」という、全く同じ『他人の目と同調圧力』を基準にした行動が起きているに過ぎないのです。自立した倫理観があるわけではなく、単に「場の空気」に流されているだけなのです。
学術研究が証明した「日本人のスパイト(いじわる)行動」の衝撃
同調圧力の恐ろしさは理解できました。しかし、それだけではネット上の陰湿なバッシングの「熱量」を説明しきれません。なぜ私たちは、赤の他人をそこまで激しく引きずり下ろそうとするのか。
さらに調べていくうちに、私はもう一つの決定的な動画、そして学術的なデータにたどり着きました。 それが「スパイト行動」に関する解説動画です。
参考動画:【ゆっくり解説】85 「人の得が許せない」みんな仲良く共倒れ「スパイト行動」 https://www.youtube.com/watch?v=zvkTHiIxxEY
この動画では、大阪大学社会経済研究所などが行った「公共財ゲーム」という有名な行動経済学の実験結果が紹介されています。 結論から言うと、私の「日本人は実は性格が悪いのではないか」という直感は、学問の世界ではすでに有名な事実としてデータで裏付けられていたのです。
「スパイト行動(Spiteful behavior)」とは、簡単に言えば「自分が損をしてでも、他人の足を引っ張ろうとする(他人に損をさせようとする)行動」のことです。
実験では、参加者が協力し合えば全員が儲かるゲームを行います。しかし中には、自分は協力せずに他人の利益だけをかすめ取ろうとする「ズルい人(フリーライダー)」が現れます。 ここで「自分のお金を少し払う(自分が損をする)ことで、ズルい相手からお金を没収する(罰を与える)ことができる」というルールを追加します。
この実験を様々な国で行った結果、驚くべきことが分かりました。 なんと、日本人は他国に比べて、この「自分が損をしてでも他人を罰する」行動を選択する割合が異常に、それこそ世界で突出して高かったのです。
動画内では、この心理の根底にあるものを「他人の得が許せない」という感情だと解説しています。 自分が得をする「Win-Win」の関係になれる状況であっても、相手が自分より少しでも多く得をしているように見えると、それが許せない。だから、わざわざ自分がコスト(時間や労力、あるいは訴訟リスクなど)を払ってでも、相手を潰して「Lose-Lose(共倒れ)」に持ち込もうとする。
これを論文の解説を通して知った時、私は背筋が寒くなるのを感じました。 「自分が損をしてでも、他人の利益を減らしたい」「突出している人間を引きずり下ろしたい」。 これこそが、日本社会に蔓延する「いじわる」の正体であり、ネット上の炎上やバッシングの根本にある心理なのです。
YouTuberや芸能人が少しでも失敗すると、自分の人生には1ミリも関係ないのに、貴重な時間を費やして長文の誹謗中傷を書き込む人々。コロナ禍で起きた「自粛警察」も同じです。自分が我慢(損)しているのだから、楽しそうにしている(利益を得ている)他人が許せない。だから、匿名で張り紙をしたり、ネットで晒し上げたりして「罰」を与える。
そこに「社会を良くしよう」という正義感は表面上の言い訳に過ぎず、根底にあるのは「スパイト(いじわる)の心理」なのだと、客観的なデータが冷酷に指摘しているのです。
「優しい社会」を演じ続ける私たちへの問い
さて、ここまでかなり絶望的なことを書いてきました。 「やっぱり日本人は性格が悪かったんだ!最悪だ!」と言い捨ててブログを閉じるのは簡単です。
でも、私はこの一連のリサーチを通して、単に「日本人が嫌いになった」わけではありません。むしろ、なぜ私たちがこんなに歪んだ心を持つようになってしまったのか、その「社会構造の悲哀」みたいなものを痛烈に感じています。
私たち日本人は、子どもの頃から「人に迷惑をかけてはいけない」「みんなと同じようにしなさい」と徹底的に教育されます。和を乱すことは最大の罪であり、太田教授が指摘したような「閉鎖的で同質的なコミュニティ」の中で、常に他人の顔色をうかがって生きることを強いられます。 それは裏を返せば、常に「監視されている」という強烈なストレス社会でもあります。
表向きはニコニコと「おもてなし」の笑顔を作り、世界からは「礼儀正しい」と絶賛される。 しかし、その心の中には、我慢に我慢を重ねて澱のように溜まったストレスと、「自分だけが我慢しているのに、あいつはズルい(スパイト心理)」というルサンチマンが渦巻いている。 だからこそ、監視の目が届かない花火大会の帰り道では平気でゴミを捨てて鬱憤を晴らし、匿名掲示板では「正義」という大義名分を盾にして、自分より目立つ人間や失敗した人間を徹底的に叩きのめして快楽を得るのです。
これは、日本人のDNAレベルの性格が悪いというより、「そうしないと精神が壊れてしまうほど、抑圧された社会システム」に私たちが生きている証拠なのかもしれません。
ワールドカップのゴミ拾いが世界から称賛されるのは嬉しいことです。 でも、私たちはその称賛に酔いしれる前に、自分たちの足元に目を向けるべきではないでしょうか。 花火大会の後に残された無残なゴミの山。ネット上に溢れる目を覆いたくなるような悪口の数々。そして、「自分が損をしてでも他人の足を引っ張りたい」というデータが示す、私たちの心の闇。
これらを見ないふりをして「日本人は素晴らしい」と自己陶酔している限り、この国が本当に生きやすい「優しい社会」になることは永遠にない気がします。
私たちに必要なのは、他人の目(世間体)を気にしてゴミを拾うことではなく、「誰も見ていなくても、自分が心地よく生きるためにゴミを持ち帰る」という、真の個人としての倫理観を育てることではないでしょうか。 そして、他人の成功や失敗に過剰に反応して足を引っ張り合うのではなく、「人は人、自分は自分」と切り離せるドライな優しさを持つこと。動画でも語られていたように、複数のコミュニティを持ち、一つの同調圧力に縛られない生き方を模索すること。
明日からすぐに社会が変わるわけではありません。でも、まずは「私たちの中には、こんないじわるな感情(スパイト行動)が隠れていて、同調圧力に踊らされているんだ」と自覚すること。そこからしか、本当の変化は始まらないと私は信じています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。