インディ・ジョーンズ
驚異の岩山削り出し
薔薇色の古代都市
🇯🇴ヨルダンのクライマックスはなんといってもペトラ遺跡
シリアから陸路でヨルダンに入り、首都アンマンとジェラシュ遺跡を経て、ついに旅の最大の目的地へと向かいました。
ヨルダンといえばペトラ遺跡。当時の私の旅行のクライマックスでした。
ヨルダンの南部に位置する、ペトラ遺跡(Petra)。
1985年に世界遺産に登録され、映画『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』の舞台としても知られるこの場所は、私のような「歴史ある遺跡好き」にとっては聖地のような場所です。
2007年6月。灼熱の太陽の下、私はついにその入り口に立ちました。
この広大な「薔薇色の古代都市」の全貌をレポートします。第1回は、遺跡へのアプローチから、あの伝説の「宝物殿」との対面、そして王家の墓までの道のりです。
🚶冒険の始まり:渇いた大地と「オベリスクの墓」
ペトラ観光の拠点となるのは、「ワディ・ムーサ(モーセの谷)」という街です。

ホテルや土産物屋が並ぶこの街から、遺跡の入り口までは歩いて向かいます。
ゲートをくぐると、そこはもう遮るもののない乾いた大地。冒険の始まりです。

🏺 オベリスクの墓
歩き始めてすぐ、左手の岩肌に奇妙な建造物が見えてきました。
岩の上部に4つのピラミッド(オベリスク)が刻まれたこの遺跡。
上部は墓、下部は宴会場として使われていたそうです。
メインの宝物殿に着く前から、ナバテア人の建築技術の高さに圧倒されます。
🌑光と影の迷宮、峡谷「シーク」を行く
しばらく歩くと、景色が一変します。
巨大な岩が裂けたような、細長い峡谷の入り口が現れました。ここからは「シーク(The Siq)」と呼ばれる、約1.2km続く天然の岩の回廊を進みます。

両側にそそり立つ断崖絶壁は、高さ80メートルにも達するそうです。
太陽の光が遮られ、ひんやりとした空気が流れます。本当にここだけは涼しかったのを覚えています。

🎨 ローズ・レッドの芸術
岩の色は「薔薇色」と呼ばれますが、実際にはピンク、赤、オレンジと複雑なグラデーションを描いています。
古代の人々も、この自然の要塞に守られながら、期待と不安を胸にこの道を歩いたのでしょうか。
静寂の中、自分の足音だけが響きます。
「まだ着かないのか……」
永遠に続くかと思われた道の先に、突如として「その瞬間」は訪れました。
✨劇的な対面!エル・ハズネ(宝物殿)
暗い峡谷の隙間から、強烈な光と共に、人工的な彫刻の一部がチラリと見えました。

息を呑んで前に進み、視界が一気に開けたその時。
目の前に現れたのは、映画で何度も見た、あの巨大な神殿でした。

エル・ハズネ(宝物殿)
紀元前1世紀頃に作られたと言われるこの建物は、下から積み上げたのではなく、上から岩を削って作られたそうです。
これだけの左右対称のデザインを、失敗の許されない「削り出し」で行う技術力。言葉を失います。
▲ 柱の頭部(キャピタル)の装飾。風化しているが、その繊細さは失われていません。

私も現地のスカーフ(シュマグ)を巻いて記念撮影。
この圧倒的な遺跡の前では、現代人の私たちがまるで映画のエキストラになったような気分になります。
👑岩山を削った「劇場」と「王家の墓」
多くの観光客は宝物殿を見て満足してしまいますが、ペトラの凄さはここからです。
宝物殿の右手の道(ファサード通り)を進むと、さらに巨大な都市遺構が広がっています。

こちらは収容人数4,000人とも言われる大劇場。
通常、ローマ劇場は石を積み上げて作りますが、ここでは観客席の段々もすべて岩盤を削って作られています。
そして、向かい側の岩壁には、ひときわ大きく華やかな遺跡群が並んでいます。
「王家の墓(Royal Tombs)」です。


💧 砂漠の民の知恵
看板によると、この華やかな「宮殿の墓」の裏側には、雨水を溜めるためのダムや貯水槽が作られていたそうです。
砂漠の民ナバテア人にとって、水は金よりも貴重。
彼らは見た目の美しさだけでなく、生きるための高度な水利システムもこの岩山に築いていたのです。
🏃後編へ続く:ペトラの「深部」へ
シークを抜け、宝物殿の美しさに酔いしれ、古代都市の広大さに圧倒された前半戦。
しかし、私の冒険はまだ終わりません。